「インセプション」のラストシーンを徹底解説!
映画「インセプション」の最後のシーンは、コブが普段から夢か現実かの判断に使っている「トーテム」のコマが回っているカットでクレジットロールに入ります。コマが回り続けるのであれば、コブはまだ夢の中に居ることになり、コマが止まれば、現実世界で愛する子供たちの居る我が家に帰ってきていることになります。
コマは少しずつ失速し、僅かにバランスを崩し始めるのですが、その結末、つまりコマが完全に止まってしまうのかどうかまでは分かりません。ある意味、その解釈は観客一人ひとりに委ねられています。
ネット上では夢オチなのか現実なのか、といったもの以外にも様々な考察が飛び交ってます。
ここでは、その色々な「インセプションの結末」の解釈をご紹介します。
■現実帰還説
コマは止まる。
ある意味、一番真っ当で、素直な解釈。
ロバートへのインセプションのミッションに成功したコブは、サイトーによりその犯罪歴が抹消され、愛する2人の子供たちが待つ我が家へと帰ることができる。という結末。
モルへの罪悪感から生じていた、彼女との世界への執着からも今回のミッション中に解放されているので、これからは父親として健全な生活を送ることができるのではないだろうか。
そういう意味では、この結末は映画としてハッピーエンドと言えよう。
ただ、自分の学んだスキルを「合法的に活用できる場所がなかった」と語るコブが、これからどんな仕事に就くのであろう?と要らぬ心配をしてしまいそう。心理カウンセラーとかなら適任か。
ロバートもインセプションによって、亡き父に対する想いがプラス方向になり、自立心もつき、人生としてはある意味良い方向へ歩き出したのではないだろうか。たとえこの後サイトーの会社との戦いに敗れることになったとしても・・・。
「親にまったく愛されてなかった」と思う人生と、そうでない人生では、かなり違う道を歩む可能性は高い。ロバートはこの後、会社を破滅させるかも知れないが、インセプションを企画したサイトーと、良い内容でインセプションしてくれたコブ達に感謝すべきなのかもしれない。コブの「インセプションは対象のその後の人生を大きく変えるかもしれない」と言った言葉や、「マイナスよりプラスの感情を使おう」といった選択は、まさにロバートのその後の人生において重要な意味があったのだ。
コブは、これまでモルの死に罪悪感を感じ続け、贖罪を行うかのように2人の世界を再現すべく、夜な夜な夢の世界に入っていって潜在意識の投影であるモルとの生活を続けていた。そういったモルへ執着が、今回のミッションでなぜ解放されたのか。
それにはこのような解釈も可能だ。コブは夢の深い層、例えば第3階層の雪山で、アリアドネの「モルは本物じゃない!」という言葉を聞く。また、ロバートが撃たれてしまったので遅きに失したとはいえ、コブの手によりモルを射殺する。このような深い層での行動は、少なからず潜在意識にも影響を与えるのではないか。
また、コブは第1階層でモルの死に方を、虚無の世界のモルの部屋でモルの死の真相が自分のインセプションによるものであったことを、アリアドネに告白する。そしてそれ以来、心の中にあるものは罪の意識だけであったことも。それは暗い懺悔室で牧師に自分の罪を懺悔する子羊の姿そのものである。キリスト教になじみがなければ気付きにくいが、そういった宗教的な要素のあるシーンだと言える。深い層でのこの懺悔のような行動が、コブの心を解放したのではないだろうか。事実、モルの死の真相を喋った直後、自分の潜在意識の投影である彼女を否定し、決別を果たしている。
さらに言うと、このコブの心の解放は、アリアドネが狙ってやったのではないか、とも考えられる。そもそもアリアドネが同行した理由は、ロバートへのインセプションの手助けではなく、コブの救済であったはずだ。
もう一段深読みするのであれば、アリアドネをコブ救済に差し向けたのは彼の義父であり、モルの実父であるのマイルズ教授ではないか、とも考えられる。実際アリアドネはコブの心の闇に触れた際、危険を感じて一度は彼らの元を去っているのだ。彼女は戻ってきた理由を「天地創造に値する経験をやめられない」などというが、それだけであろうか。彼女にコブを紹介したのはマイルズ教授である。紹介された仕事を途中で降りる場合、紹介者に報告に行くのが自然である。もしそうしたとき、マイルズ教授は何と言うであろうか? 彼はコブとモルの子供達、つまり孫のことを気にかけている。コブにもっと父親らしいことをしろ、と言う台詞からもそれが窺える。マイルズが優秀な生徒であるアリアドネに、自分の娘の死で苦しんでいる、義理の息子の心の解放を依頼したとしても不思議ではない。
もうひとつ、現実帰還説を裏付ける情報としては、作中でコブは夢の中でだけ結婚指輪をしている。そしてエンディングでコマを回すシーンでは指輪をしていない。よって、そこは現実である。というものであるが、実際に映像で指輪をしているのか、していないのか判断できるほどクリアな映像はない、とする意見もあるようだ。(コマを回す手には指輪はないが、それは右手)
監督のクリストファー・ノーランはインタビューで、本作品について次のように語っている。
「もしかしたら複雑という印象があるかもしれない。だから分析したり、夢のルールはなんだ? という点に捉われがちになるが、とにかくリラックスして。何か乗り物に乗った気分で見ていけば、理解できると思う」 また、ノーラン監督は、夢の階層構造という舞台の面白さももちろんだが、さまざまな形で奏でられる愛の姿こそ本作品で最も意図したところ、とも語っているところからみると、監督自身は、この素直な「現実帰還説」を結末と考えているのかもしれない。
■夢の途中説
コマは止らず回り続ける。
つまり、愛する子供たちの元に帰って来たことも、夢の中であるという結末だ。
夢の中、といっても考えられる道筋は1つではない。
虚無世界でサイトーを探し出して、あれだけ老サイトーに「帰ろう」と言ったコブを見ると考えにくいが、ラストシーンでサイトーがピストルを持ち上げた後、結局コブは現実へ帰る選択をせず、せっせと自分の家など自分の世界を作る。その上で「ここは現実でない」ことを忘れる。はっと気付く飛行機の中も、その世界である。この説にはちょっと無理があるように思える。そして、ちょっと救いがない。
こういう考えもある。そもそもコブが現実と思っている世界自体が、既に夢である。とする説だ。そうなると、モルの自殺も実は彼女自身が何度もコブに行った通り、本当に上の階層に行っただけ、となる。で、あれば今回のサイトーからのインセプションの依頼も夢だということになる。深読みすれば、今回のミッションは先に上の世界に行ったモルが、そこが現実だと思い込んでいつまでたっても戻ってこないコブを救うために仕掛けたインセプションなのではないか、と思える。もっとも「先に上に行ったならキックで起こしてやれよ」という声が聞こえそうではある。 もしこの説が正しいのであれば、映画のラストで子供達の家に帰って来たコブは、単に夢の中で「モルの自殺」というトラウマから解放されただけ、という何とも微妙な展開となる。 もしこの後、コブがモルの待つ1つ上の層に戻ったら、それはそれでまた心が病みそうである。何しろ、死んだはずの妻、そしてその死のトラウマをようやく解消したと思ったら、元気そうに生きているのである。
しかし、この説も可能性は低いように思う。 なぜなら、もしコブが現実だと思っている世界が夢なら、それは第何層であろうか? 第1層なら、その層の1週間が現実での10時間である。その世界で何年も過ごしているのであれば、現実世界で眠っているコブは何百時間も何千時間も眠り続けていることになる。 また、コブが現実だと思っている世界が第2階層より深い層だとしたら、今回のミッションで潜った第3階層が第5階層以上深い夢となってしまう。 いくらなんでもそこまで深いレベルに行けるとは、少なくとも本編で得られる情報で考える限りでは思えない。 よって、この説が正しいという可能性も低いと思われる。
やはり、あのラストシーンが夢の中のものだとすると、一番無難で納得できるのは、完全なる「夢オチ」である。 ドリームマシンとか、階層構想とか、まったく関係ないただの夢。 ハッと目覚めるとモルと子供達がいる。「いやぁ、妙な夢を見たよ。夢の中に入れる機械があってさぁ」みたいな。
想像している分にはいいが、もしこの説が正しくて、そして最後まで映画内で語られていたら、激しく引きそうなオチである。
また、一部でまことしやかに囁かれているのはクレジットロールの途中で、「キック」をする合図に使われていた音楽が流れることから、ラストシーンは夢で、これからキックがあるのだ。という説である。しかし、上の階層で音楽を流した際、下の層には「こもった音」で音楽が聞こえていたが、クレジットロール時の音楽は明瞭である点が合点がいかない。 あの音楽を流すことにより「あなたの人生も夢のようなものですよ。ホラ今にもキックで起こされるかもしれませんよ」と観客に考えさせるための演出と思えなくもない。 少数派であるが、クレジットロール中に耳を澄ませていたら、コマが回っている音が聞こえた、という人もいるようだ。
夢である、とする説の根拠として、最後のシーンのフィリッパとジェームス(子供達)が、夢の中で出てくる投影から成長していないから夢。とか、夢の中で出てくるときと同じ洋服だから夢。というものであるが、成長に関して言うと、作中ではコブが家を出てからどのくらい経つのかは語られていない。 もしかすると数ヶ月なのかもしれない。数ヶ月とはいえ、子供と会えない(しかも両親ともに)のはやはり苦しいであろう。逆に数年経っているとしたら、ジェームスみたいな小さい子は既に父親の姿を忘れ始めるのではないか。 そう考えると、子供達と会えなくなってから数ヶ月と考えるのが自然に思え、であれば成長していないから夢である、というのは乱暴に思える。 また、服については、スタイリストが「よく見てください。夢の中とラストシーン、服、違いますよ」と回答しているらしい。
あと考えられるのは、、、
首の後ろのプラグを抜かれたら、荒廃した未来世界だった、とか。
気がついたら孤島の精神病棟だった、とか。
起きたらみんながコブをとり囲んで拍手いて「おめでとう」「おめでとう」「すべての子供たちにおめでとう」、とか。
悪ノリである。
いずれにしても、ラストシーンが夢だとした場合、上記のような分析や想像が必要となる。それは、ノーラン監督の言うところの「夢のルールなどの分析をするより、とにかくリラックスして、楽しんで観たら理解できる」という言葉から少しはずれているようにも思える。 しかし、監督自身がラストシーンの判断を観客自身に委ねた以上、観た人がそれぞれの「自分が好きな」エンディングを信じることが、一番なのだと思う。
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